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この10年、日本におけるUDの進化は官、民が協力して取組んでいる点にある

2013.03.14掲載

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写真:コールマン氏

ロジャー・コールマン

王立芸術大学院名誉教授:英国

■インタヴュアー:秋谷 英紀(トヨタ紡織)
■日時:2012年10月12日 10:50~

プロフィール


―2003年にIAUDが設立され来年で10年になりますが、この10年で、日本のユニヴァーサルデザイン(以下 UD)がどのように進化したとお考えになりますか?


ロジャー・コールマン(以下 コールマン):すばらしいです。10年目は大きな節目になりますね。私の存じ上げている限り、日本はどの国よりもユニヴァーサルデザインに取り組んでいらっしゃいます。国によって原動力となるものは異なっていますが、例えばアメリカは法律や政治が大きな役割を果たしてきました。法律によってUDを確立しようという強い動きがあったんです。1990年に制定されたアメリカ障がい者法は、初期に制定された障がいを持つ人々を守るための包括的法律の1つですが、アメリカは日本と比べると統制が取れておらず、国民の間でUDが自主的に取り入れられる可能性が少ないため、障がい者を指示する運動家にとって、法制化というのが最も目に見える方法であり、重要な目標だったわけです。

伝統的に障がい者に対する社会的関心を持ちサポートをしてきたスカンジナビアの国では、公共の施設や空間に誰でもアクセスできるようにすることで社会的平等を推進したいという切望によって、UDが推し進められてきました。スカンジナビアにはまた、福祉を目的とした、あるいはどんな人でも受け入れられるデザインを取り入れるという強い伝統もあります。そしてこの2つの伝統が要因となって、UDが展開され、実行されてきた結果、エルゴノミデザイン社のような企業の典型的な製品デザインや、コペンハーゲンの地下鉄のような誰にでもアクセス可能な交通機関のデザインが生まれてきたのです。

ヨーロッパ全体について申し上げますと、社会全体が1つにまとまろうという考えがありました。欧州連合(EU)は、国家間の対立を乗り越え、戦争を過去のものとしたいという願いに基づいて設立された国家を越えた機構です。この創立当初の意図は当然のことながら、国境を越えて平等の権利と機会が確立されている、あらゆる人々が参加できる社会を作り上げたいという希望へとつながっています。ヨーロッパはまた豊かな歴史と素晴らしい都市に恵まれていて、観光や文化活動が経済に大きな役割を果たしていますから、この点もまた、誰にとってもアクセスしやすい交通手段と建築環境のデザインが発達した原動力となったと言えるでしょう。

イギリスについて申し上げますと、進歩しているところもあれば、そうでないところもあるような気がいたします。UDが国民の生活の質を上げ、仕事に対する意欲の向上にもつながる強力な力であるという考えを政府に理解してもらおうと懸命に努力をしているところだからです。英国にも包括的なデザインマネージメントにおける基準はあるのですが、UDを英国内で推進する直接的な責任を負う政府の閣僚というのは存在しません。そのため、総合的なアプローチという面が欠けていて、UDの普及には欠かせないと私が感じているハイレベルな取り組みができているとは言えないのです。

日本について言えば、2002年から最初の4年間はまだ日本は準備期間だったのではないでしょうか。その間に人々は他国での様々な取り組みを吸収し、日本にとってはどのような方法が適当であるか、どんなことをすべきか、ということを考え、そして徐々に実現してきたのでしょう。

その大きな前兆が日本には確かにありました。たとえば、国土交通省の取り組みはその後の政策にとってすばらしい基盤となりましたし、世界各国での取り組みを研究して、そうしたアイデアを日本に最初に取り入れた積水のような企業の取り組みもまた、すばらしい基盤となりました。

例えば、終身住宅という概念はイギリスで生まれ、ラウントリー財団とヘレン・ハムリンによって彼女の信託を通じて強く推進された考え方ですが、商業的にはあまりうまくいきませんでした。しかし日本では、積水は必ず消費者需要があると考えて、徐々に展開を進め、ついにはビジネスとして見事に成功を収めました。

日本について大変すばらしいと同時にとてもユニークであると思っている点は、日本政府、官公庁、地方自治体、大企業、NGOが手を携えてこの目標に向かっていらっしゃるという点ですね。社会全般にわたる、これほどまでの協力体制と献身ぶりは他国では見られない現象です。

私が思うに故・・仁親王殿下がこの団体の総裁を務めて下さったという事はとても重要なことだったのではないでしょうか。そのおかげで、UDや社会的一体性という点で国全体がまとまったのだと思います。もう一つ重要な点があります。それは企業経営のトップにいらっしゃる人々が、UDの推進・促進において中心的な役割を担っていらっしゃるということです。残念ながら1月に逝去された山本氏(IAUD前会長)をはじめ、本日講演にてお話になっておられます戸田氏(元パナソニック)など大企業の重要な役職に就いていらっしゃる方々が参加してきたということは大変貴重なことでして、ここに他国との違いが生まれてくるのだと思います。

これ以外にも日本の特徴としてあげられるのは、今朝お話させていただきましたように「ユニヴァーサルシティ」という考え方、すなわち各都市に主要な交通拠点を置き、都市から都市へ目的に応じて人々が自由に移動できるように力をいれているということです。そうすることで、人々はそれぞれの能力に関係なく、都市の内外を自在に行き来し、様々な交通拠点を経由することで都市のあらゆる地域に自由にアクセスすることも可能になっています。特に主要な公共スペースや、小売店、そしてその他の重要な施設が交通拠点の周辺に集まっていて、自由に行き来ができるという点など、これは他ではなかなか見られないことだと思います。



―2つ目の質問です。UDに関して、アジア地域における日本の役割はどうあるべきだと感じていますか?


コールマン:今はまだ開発途上にあると思っています。日本は国内においては非常に大きな進展を遂げてこられたと思いますので、いよいよそのアイデアと実戦を輸出していく段階になったのではないか、これまでの成果にたいしもう少し自信をお持ちになったらよいのではないか、というように思っております。なぜかと申しますと、2002年に初めて会合に参加しましてから、私は日本の遂げてこられた進化を目の当たりにしてきました。日本の遂げてこられている進化は非常に特別なものがあると思います。このすばらしいプラットフォームを土台として、日本が培ってきた成果を今度は輸出されればよいのではないか、それが重要なことなのではないかと思うのです。特に日本人が元々持っていた集団主義ですとか責任の共有という考え方だけでなく、ユニヴァーサルデザインが国民意識、国民願望の一部となり、他人を思いやり、もてなし、歓迎する社会を作り上げるための一端となってきたことは、非常に重要なことだと言えます。このUDに対する特別なアプローチを広めていくという日本の役割はとても重要であり、まだまだ始まったばかりなのだと思っています。

写真:ロジャー・コールマン氏このように日本は大きな役割を担っています。ただし、それは自己宣伝や権力の拡張ということではなく、その成功ぶりを出し惜しみせず、共有していくという役割です。世界で共有すべき成功談を日本は持っているのです。それを理解しやすいよう、日本ほど繁栄していない他の文化や他国、社会の為に役立つよう翻訳したり組み立てていくことはまさに今後の挑戦だと思います。

ユニヴァーサルデザイン、包括的デザインなど色々な呼び方はありますが、このプロジェクト全体の基本的な考え方は「我々が同じ惑星に住んでいる」ということにあります。私たちは共通のリソースを保護し、守っていくために協力をしていく必要がありますし、同時に、個人、グループ、国家全体の誰もがその能力をフルに活用できるようしていかなければならないと思っています。これはつまり、すべての人がアクセスでき、利用できる、製品、サービス、環境を作り上げなくてはいけないということです。従って、私たちはUDを相互の利益のための集団的な行動というコンテキストで見ていかなければなりません。これはまさに日本人の考え方そのものだと思っています。

たしかに東日本大震災は大きな悲劇ではありましたけれども、私たちが一丸となってどのように対処していくべきかということを教えてくれる教訓となるのであれば、これもまた1つの機会として捉えることも可能になると思います。

今回の会議というのは私たちにとっては大きなチャンスを与えてくれるものだと思っています。協力する段階を超えて、経験を共有する、さらに言えば政府、産業、そしてデザイン、輸送業界などでしてこられた経験を共有し、違う視点から得た経験を共有するところに入っていく、また様々なセクターのアプローチ方法を理解しつつ、安全性やリスク管理など我々の生活に重大な影響をもたらし、また多くのセクターで大幅に向上されてきた共通の問題について考える大きな機会だと思っております。



―東日本大震災を機に、日本やアジアに住む方々の安全・安心に対する意識が大きく変わりました。「今後起こりうる自然災害から安全に命を守る」「震災後に取り組むべき安心した日常生活の回復」は、日本にとって切実な課題です。こうした「命を守る」「安心した日常生活の回復」という観点とサスティナブルな社会実現へ向け、どのように取り組んでいくべきだとお考えでしょうか?


コールマン:常々感じているのですが、持続可能なデザインについて話をする場合、環境の持続可能性という問題の先にある、持続可能な社会というより大きな問題を見ていかなければならないのではないでしょうか。と申しますのは、社会の安定と社会の持続可能性が無ければ、環境とバランスの取れた関係を達成するのはとても難しいことだからです。これまでUDに関して達成してきた進歩というのは、すなわち、持続可能性のあるコミュニティを作り上げてきたこと、あるいは誰にでもアクセス可能な環境――公共スペース、村、街、都市――が人間レベルで持続可能になったことだと私は感じています。従って、グリーンデザイン、環境デザイン、そしてユニヴァーサルデザインを1つにまとめること、すなわち別のものではなく1つのものとしてそれらのデザインを見ていくことが重要な第一歩であり、それらに安全とか安心という考え方を付加していくということが次の重要なステップだと思います。今そのようにすることでUDは私たちがまだまだ模索すべき余地がある、そして問題をますます切り離しては考えられないさらに高いレベルへと上げることができるのだと思います。

違う言い方をしましょうか。このUDという用語は、すべての人がすべてのものにアクセスできるようにすべきだという障がい者組織からの熱い要請で使われるようになった言葉です。当時の人々は、車いすやバリアフリーのデザイン、構築環境での障害物の除去といったことをただ念頭に置いていたにすぎませんでした。しかし、その後私たちは、本当にユニヴァーサルなものを目指し、それらのアイデアを製品やサービス、情報、エンタテインメントや文化、そういったものに広げていくのならば、誰にとっても魅力的で、アピール力があって、理解しやすいものにしていかなければならないことを学んできました。ユニヴァーサリティというものは、日常生活の中に組み込んでいかなければなりません。ただそれは私たちにとってたいへんなことでした。そして、その目標に近づいた今、今度は持続可能なコミュニティという観点から考え始める必要が出てきました。今はまだ、ある意味バリアフリーレベルに留まっている段階であり、このアイデアを一般的にあてはめていくには至っていないのです。ですから本会議がユニヴァーサルデザインを違った方法で考えたり見たりする機会になれば良いと祈念しています。

まだUDアワードの審査員長としては、まだ授賞式が終わっていないので細かくお話しすることはできないですけれども、エントリーの中には、これは将来必要になるかもしれないと思えるような非常に興味深いものがいくつもありました。たとえて言うと、審査員として、日常的にも緊急時にも使える二重の機能を持った製品については各賞の中でカテゴリーわけが必要だということに気づいたんです。この二重性は、ユニヴァーサリティ、サステナビリティ、セキュリティというアイデアを1つにまとめることに深く挑戦していくうえで、ますます重要になってくることでしょう。例えば、安心な生活を送りたいと考えた場合、私たちは、生活や身の回りのものをよりシンプルで、直感的で、人間に優しいものにしなければならないということです。ですから、物事をシンプルにするということは、これらの問題をどう扱うかということに焦点を当てていかなければならないわけです。

この点もまた、日本の興味深い点の1つではあります。というのも、シンプルさというのは、日本の伝統的な美学の1つであり、日本人は狭いところで生活する傾向があるため、何でも物事をシンプルで、多機能で、美的にも満足できるものにしようとするように思います。私たちは、ある意味、電気製品とか、常に持ち歩いていてこの非常に複雑な現代生活において依存度を増している様々なものに囲まれ、かなり緊張した状態にあります。一方で、シンプルなものを求める感情や、シンプルだった過去と今の自分たちを結びつける精神的美学も持っています。そうした私たちが作っている「もの」、必要なんだと信じていることがあまりに多いこの状態は、やはり環境のためにいいとはいえません。だからこそ、複雑さとシンプルさについてのこれらの問題、そして人生を全うするために本当に必要なものはなにか、について深く考えるための良い機会でもあるように思います。

かつての遊牧民社会では、人々は自分の持ち物を小さくまとめて持ち歩く必要がありました。実用レベルでも感情レベルでもすべてのものを小さく収めて運べるようにしなければならなかったわけです。また何かに役立てるという以上に、すべてのものが装飾的でもなければならず、またその装飾は何かを物語るもの、すなわち歴史と文化の一部として何かを読み取ることができるようなものでなければなりませんでした。つまり私たち人間は遙か昔から、「もの」に様々な意味を持たせることができなければならなかったということです。私が思いますには、より意味のあるもの、だからこそより価値のあるものを減らしていくことで、原点へと立ち返る道を見つけ出す必要があるのではないでしょうか。それをしようとすること、あるいはそれをしたいことというのは、人間としての精神の大部分をなすわけですからそれほど難しいことだとは思いませんし、それどころか、集団としての人間の過去と本質的な人間性とのつながりを見つけ出すためにも重要なことだと思っています。

写真:ロジャーコールマン氏こういったことを深く熟考して、それから得られる教訓をUDに当てはめていく必要があると思います。UD製品というのは昔は障がい者用の製品でしかなく、そのため見た目にもいいとは言い難いものがほとんどでした。自分は障がい者ではないと思っている人たちは、どれほど有用なものであっても、UD製品を手にすることはなかったでしょう。そこで、こうした心の葛藤を乗り越えるために、もっとUDを魅力的なものにしなければならない、従来の製品に取って変わるような完全な製品としてより説得力のある製品を作らなければならないことに気づいたわけです。言い換えれば、UDは純粋に機能性があるというだけでなく、私たちの気持ちや日常生活にもフィットする、というもっと深いレベルにアピールするようなものでなければならないのです。

人間がみなとは言いませんが、一部の人間はそういう教訓を学んでいますし、それが困難な挑戦だということもわかっています。ですからおっしゃる安全・安心の面の向上についての取り組みも難しいと思いますけれども、それと同じくらいやりがいがあり、生産性の高い挑戦だと思っています。私たちはすでに進歩を遂げています。IAUDアウォードという制度がそれを十分に証明してくれています。みなにとって望ましく、容認できるような解決策がきっと見つかるはずです。時間はかかるでしょうが、すでにその方向に向かって歩き始めています。過去、私たちが犯して来た同じ過ちをできるだけ再び犯すことがないことを願っていると同時に、私は人間の将来をとても楽観視しています。なぜなら、この会議のおかげで、私たちはこれらの難しいけれどもとても重要な問題に立ち向かい始めたところだからです。


―ありがとうございました。



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