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21世紀のためのデザインIII、UDに関する国際会議報告 全体総括

2004.12.20掲載

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2004年「21世紀のためのデザインIII、UD国際会議」をふりかえって

副理事長 後藤義明(積水ハウス)


じっとり汗ばむ初夏のリオ、事前に聞いていた無法地帯の様子は見あたらず、倒壊しそうな家屋が密集するスラム街を望みながらバスで進む道には死体も転がっていないし、撃ち合いもありません。いきなり現れたコパカバーナの海岸と青い空が国際会議参加という緊張一杯の我々に、リゾートの風を吹き付けてきました。しかし、天気がいいのも初日だけ。会議開催中は、曇っていて、時々雨の降る陰気な天気が続きました。サンバとボサノバの陽気さに浮かれたい私たちの未練を断ち切ってくれました。


さて、会議への参加登録は代理店に任せたため、レジストレーションから始まるはずだった昂揚気分を味わうことなく、12月9日の初日を迎えました。午前9時からオープニングイベントが始まるはずなのに、ソフィテルホテルの会議フロア(E階です。ちなみに地上階はTで、Eの上が1階です)には、コーヒーやジュース、果物や簡単なパンが並べられて、参加者はそれに夢中で、主会場のRIO 2ルームに人が集まりません。


今回はAEの単独主催(?)であったこととブラジルというやや不便な地で開催されたためでしょうか、4年ぶりにしては規模が小さくなった印象を受けました。出席予定だったアメリカのUD先駆者達の姿が見えません。バッファロー大学のエド・スタインフェルドさん、AEの先代代表者イレイン・オストロフさん、そして今回の実行委員長であるジム・サンデュさんまでもが不参加です。6年ぶりの再会を楽しみにしていたボストンの建築家ポール・グレイソンさんもいません。それぞれ、本人あるいは家族の体調不良などが主たる理由だそうですから、UDはやや高齢気味の世界ということを改めて感じました。


誰もが予想できるように時間に頓着しないブラジリアンタイムということで、開会式は40分遅れて始まりました。障害者代表や州の行政担当者などが、主催者であるヴァレリー・フレッチャーさんの落ち着いた感銘深い紹介に続いて挨拶していきます。英語、ポルトガル語と交じって、戸田議長の殿下のお言葉のご披露が朗々とした日本語で行われ、日本から殿下が派遣下さいました原さんが日英同時通訳をされました。3カ国語(スペイン語もあったはずです)はそれぞれ手話通訳され、日本語手話はIAUDセッション発表者の細野さんの奥様が急遽お受けくださいました。スクリーンにはともひと親王殿下のお顔が映されています。無我夢中で参加した1998年のロングアイランド、ホフストラ大学での第1回会議と2000年のプロヴィデンス、ウェスティンホテルでの第2回会議を思い出し、日本のUDが世界をリードするまでに至っていることに気づき、感激しました。オープニングセレモニーの最後に、参加できなかったジム・サンデュさんのメッセージが代読されましたが、正直なところ、何をいまさらと感じたくらいです。


本会議は、メインのプレナリーセッション(全体会儀)と、カレントセッションとしてプロジェクトとフォーラムがあります。プロジェクトは実施事例の紹介等をもとに議論を進めるセッションですので、比較的分かりやすいのですが、ワーキンググループと呼ばれるセッションもあり、これは議論中心になっていて、話し合いを通じてUDに目覚め、深く理解するといった教育的観点からのセッションです。


写真1:スポンサー紹介

実践している人や企業の目からすれば、すでに解決済みの話題を延々と論じているような感も否めません。それぞれのセッションはメイン会場のRIO1、2、3以外にフラミンゴ、ボダフォゴ等の4室が充てられ、平行して運営されます。ところが、午後のセッションを覗いてみると、参加者が極めて少なく、成立しない部屋が続出でした。セッションそのもののキャンセルもありました。買い物や観光に走った会議参加者も結構いるかも知れません。


初日の最後の行事は歓迎レセプションです。ブラジルの名物カイペリーニャや、スターフルーツをあしらった得体の知れないカクテルを手に持ってカナッペをつまみながら、歓談するといった程度です。ここで、協賛している企業や団体が紹介され、TOTOの木瀬さんなどIAUDの面々が前に並びました。



写真2:IAUDの特別セッションに参加した面々

翌10日の午前はIAUDの特別セッションでした。こちらのペースで進行できますので、ブラジリアンタイムとまでは行かないまでも、10分遅れで開始することにしました。戸田議長の基調講演では、日本のモノづくりは古来UDといえる思想を持っていたこと、そしてIAUDの設立過程と意義、現在の活動状況についての紹介がありました。続いて日本企業でのUDの実践の様子を人、開発プロセス、製品の3つの局面で捉えて、6社7人が発表しました。発表ごとに簡単な質問を受け、最後に議論の時間を設けました。企業から消費者にUDを知らしめる方策についての質問に全員が答え、戸田議長に特別に再度ご登壇願って、改めて2006年の京都での国際会議予告と今後のIAUDの方向性について語っていただいてセッション終えました。UD推進に指導的役割を果たす参加者が多く、セッション終了時だけでなく、その後すれ違う度に良いセッションだったという感想をいただきました。



写真3:レスリー・ヤング氏からロンメイス賞の賞状を受取る後藤副理事長

昼にはIAUDアドヴァイザーの荒井利春さんも審査員を務める学生デザインアウォードの発表があり、続いてロンメイス賞の発表がありました。2000年に続き第2回目の今回はIAUDもUD普及に大きく貢献する団体として受賞しました。プレゼンターのレスリー・ヤングさん(CUD : Center for Universal Design)もご自身が賞を受けていたことを直前まで知らなかったようで、驚いていました。他にUD会議関連者としてエド・スタインフェルドさんやレカルド・ゴメスさんも対象になっていました。


昼からはカレントセッションが続き、私のセッション「日本の住宅におけるUDの実践」も終了しました。夕方6時半から市庁舎でのレセプションに向けてバスに乗り込み、市長の到着を待たずに、その後IAUD主催のレセプションに移り、2日目が終了しました。


3日目のランチョンセッション(キーノート全体会儀)では、川原専務理事が急遽ジム・サンデュさんの代役で、ロジャー・コールマンさんとパトリシア・ムーアさんと一緒に、スピーカーとして登場しました。専務理事は質問に対する答えが複雑になったために、日本語で答え、それを原さんが英語に訳し、さらにその英語をポルトガル語とスペイン語に翻訳するといったかたちで議論が進みました。ここでもIAUDのセッションについてロジャーさんから賞賛があったことを付記しておきます。


この日の午後、主催者の都合でプログラムが変更され、東京電力の泉名さんの発表とリオ市長のスピーチがぶつかってしまいました。泉名さんのセッションにも車いすに乗った人を含めて30名以上の参加があり、日本の電力会社がユーザに適切な家電情報を与える活動を行っていることが感銘を与えました。3日目は最終日ということで、最後にまとめのセッションが持たれました。最終行事のフェアウェルパーティに少しでも参加するつもりでしたが、別会場ということで出ることができずにソフィテルを後にしました。


会議を振り返ってみますと、確かに参加者は予想ほど多くはありませんでしたし、さらにセッションの集まりも良いとは言えませんでした。30時間かけて現地に行き、展示にも費用をかけて各社が積極的にこの会議に取り組んだことが、対費用効果的には疑問であると評価する向きもあるかも知れません。しかし、IAUDレセプションで戸田議長が「今回の会議参加は、本気で日本の企業が取り組んでいることを各社が力を合わせて一緒に発表しにきたことに意義があり、それは十分に果たされた」とおっしゃっています。若い人を中心としてUDを進めていく日本企業をある種の脅威と見なす外国参加者もいたかも知れませんが、その力を無視すべきではないことも同時に伝えることができました。日本のUDは今までの直輸入概念のように先進国から教えてもらうものではなく、日本古来の人を大切にしたモノづくりの精神を活かして、一朝一夕に真似のできない独自のノウハウを加えて実現していくUDであることを伝えることができた会議でした。UD国際会議を肌で感じながら、IAUDの結束力を、また我々のUDに対する志を十分アピールすることがこの会議参加の主目的であり、成果でした。それは2006年の京都での国際会議を成功に導くために必要であり、さらに高いUDの実現を目指す心構えを新たにする大きな力となったことを確信しました。



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