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UD製品には国際的な市場がある

2013.03.14掲載

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写真:ヴァレリー・フレッチャー氏

ヴァレリー・フレッチャー

人間中心デザイン研究所所長:米国

■インタヴュアー:秋谷 英紀(トヨタ紡織)
■日時:2012年10月12日 11:22~

プロフィール


―2003年にIAUDが設立され来年で10年になりますが、この10年で、日本のユニヴァーサルデザイン(以下 UD)がどのように進化したとお考えになりますか?


ヴァレリー・フレッチャー(以下 フレッチャー):日本の進歩については非常にすばらしいと思っています。日本が遂げられている進化については評価すべきだと思います。他国に比べても大きな進歩を遂げられているのではないでしょうか。日本には2つ驚くべき特徴があると思います。1つは産業・企業におかれての質の高い進歩があります。2つ目は公共団体への関心の強さです。日本は、ビジネス界の統率力と革新的な選ばれたリーダーが主体となってUDに取り組まれているなという感じがします。認知度の調査によりますと、日本人の約70%がUDという考えをご存知でいらっしゃいます。私どもはグローバルにコンサルティングを行っており、各国の皆様が同じような目標をお持ちですが、達成できているのは日本だけです。



―2つ目の質問です。UDに関して、アジア地域における日本の役割はどうあるべきだと感じていますか?


フレッチャー:そうですね、いくつかありますね。まずは日本の場合、UDは必要に応じて推進されてきたものであって、法で強制されているから実行されてきたものではないと思います。私たちが直面している最大のリスクというのはユニヴァーサルデザインがバリアフリーと同義語に扱われてしまうことですね。私どもは、幅広い人々を対象にした解決策を生み出すために、バリアフリーあるいはだれでもアクセス可能なデザインというものは最低限の条件であり、バリアを取り除くだけでなく、そうした様々な人々の経験を生かし、かつ支えていくべきと考えています。問題は「やらなきゃいけないことを何でもいいからおっしゃってください」と言うにとどまってしまうことです。これはある意味デザインコミュニティにとって大きな脅威です。重要な点は「まだ分からないことがたくさんある」ということではないでしょうか。子供か大人か老人か、あるいは発達障害や精神衛生上の問題、知的問題の有無で脳の働きにどのような違いがあるか、という点はまさにフロンティア分野といえます。

アメリカでは、統一された教育が法制化されて30年実施されてまいりました。障がいのある子供も他の子供と同じように同じ教室で学ぶわけで、まずはこの時点で、障がい者に対する態度に深い影響があるわけです。今日、アメリカでは特別クラスにおける「特殊教育」プログラムに入っている子供の86%が脳に障がいを持っています。脳の機能が制限されるということは、人生のすべてのステージにおいて大きな問題です。



―東日本大震災を機に、日本やアジアに住む方々の安全・安心に対する意識が大きく変わりました。「今後起こりうる自然災害から安全に命を守る」「震災後に取り組むべき安心した日常生活の回復」は、日本にとって切実な課題です。こうした「命を守る」「安心した日常生活の回復」という観点とサスティナブルな社会実現へ向け、どのように取り組んでいくべきだとお考えでしょうか?


フレッチャー:まずは東日本大震災の被災者の方にお悔やみを申し上げます。アメリカでは大きな災害が10年ほど前に起こりました。まずはいわゆる911の同時多発テロ、次がハリケーンのカトリーナです。こうした災害があったためにアメリカでは多くの学びがございました。日本のみなさんよりもう少し、自分たちは安全ではないという感覚を多くの人々が持つための時間があったと言えます。日本と同じく、災害が起こると、障がいのある方や子供、お年寄りにとっては、危険でより配慮が必要となります。ですから、この点では私たちにとって大きな優先事項となりますね。

この10年間この分野については多くのことを行ってまいりました。
私がアドバイザーを務めた論文では、過去数年におけるアメリカの政策の変化というのがトピックになっています。この論文は、高齢者、障がい者、外国人一時的にケガや何か症状を抱えていらっしゃる方、子供という通常のカテゴリーでなく、もっと機能的な限界についての議論に再び焦点を向けています。これらの人々をすべて合計すると、人口の50%を超えてしまいますので、障がい者、高齢者、外国人と1つ1つカテゴリーを分けるのは理にかなっていません。現実として、緊急時においては、多岐にわたる機能的な違いを考慮に入れながら進めていかなければならないわけです。

写真:ヴァレリー・フレッチャー氏日本は分かりませんが、他の多くの国において、特にアメリカでは機能的に特別な限界を持っている方、中でも、後天的な機能障がいを負うことになった人たちはとりわけ自分たちを必ずしも障がい者と位置づけていないようです。機能的限界というのは、カテゴリーというよろはむしろ事実を述べているだけで、1つの災難に過ぎないという考え方も、ある意味一理あるのではないでしょうか。

アメリカでは、UDは今では政府の政策となっているので、もはや「特別なニーズ」というものはなく「機能的ニーズ」に取って変わっています。これは大きなアイデアです。まさにUDのアイデアということでしょうか。基本的に、UDというのが、災難に備えるという点で理にかなっている唯一の枠組みというアイデアを支持しているのです。

現在コミュニティの中で数々の災難、すなわち自然的災難あるいは化学的災難といったものに対する認知度を高め、コミュニティの中の人たちが、今後起こるかもしれない災難に対する準備ができているようにしたいという風に思っています。このカテゴリー、あのカテゴリー、というふうに考えるのをやめ、全ての人々に関することなのだという認識を持っていただく、社会的な弱者のほぼ全員を適切な方法で守っていくためには、考え方を変えていく必要があるのだと言う認識を持っていただく、私たちはそうしたことを多くの人々に働きかけようとしているのです。また、身体的な問題だけでなく、感覚的限界や発達障がいや、脳機能障がい、精神衛生問題といった脳の機能に関する問題についても投げかけていきたいと思っています。多感覚的な情報というものが1つの鍵なのです。



―特に災害時と車という関係についてどのようにお考えですか?


フレッチャー:そうですね。災害時において車というのは非常に微妙な位置づけになると思います。なぜかというと、みなさん(車に乗ってどこかへ行けるかも)と思うんですね。けれども、必ずしもそうではありませんし、車に乗っている時にはほとんど外部からの情報が入りません。どこかへ逃げようと思って車の運転を始めたけれども、逃げ出そうとする前に災害に遭遇してしまったというのは非常に良くあることです。

アメリカでは家よりも車の方が大事、多くの方は家よりも車の中で過ごす方が多いという方もいらっしゃるので、アメリカ人にとって車は重要なんですね。だから安全を求める時には車の方に行ってしまうことになるんです。



―分かりました。そのような視点を持たなければならないのですね。


フレッチャー:そうですね。アメリカでこの話をする機会がたくさんあったのですが、特に最近は比較的お年を召した方に向けた情報を得るためのサービスが組み込まれている特徴があります。何かが起こった時にその情報が外に伝わることになっているということですね。もし何かが起こったら自動的に自分の代わりに車がそれを他の人に知らせてくれるということを知っていれば、特に高齢者にとっては緊急時の経験が一度もなくても心の安心という意味では大きな役割を果たすと思います。



―今後さらに日本におけるUD活動に期待されることはありますか?


フレッチャー:1つ大きなお願いがございます。分かっていただきたいのはユニヴァーサルデザインの商品については国際的な市場が存在することです。もちろん違う国であれば違うアプローチの仕方があるでしょうし、マーケットごとの特性もあると思います。しかしながら、入手できる製品の数は非常に限られております。これは私が過去何年も言い続けていることであります。

例えば、花王のユニヴァーサルデザインの製品や、パナソニックの非常時用の製品ついてアメリカで販売して欲しいですし、こうした製品があれば私は買いたいと思っております。こういった製品を作っている会社がほかにないからです。繰り返し言い続けてきたことですが、世界的な市場があるということを皆さんにまだ十分に理解していただいていないのではないかということを懸念しております。


―ありがとうございました。



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