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東京大学先端科学技術研究センター助教授:日本

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私は9歳で失明し、18歳で失聴し、全盲ろう者となった。今から25年前、1981年の始めのことである。つまり、私は、「光と音のある世界」と、「音のみの世界」を経験し、「光と音のない世界」を今生きていることになる。43年の半生を振り返ると、様々な記憶がよみがえる。


月を見たことがある。満月だった。夏の夜、金色の光輝を放つ円盤は、やけに明るく感じられた。あの曖昧な黒い影が「うさぎ」なのだろうか。神戸市のはずれの実家の近くの小さな山のふもとだった。深い闇が辺りにあった。周囲では虫の音がわきたっていた。
輝く音を聴いたことがある。中学生のころ、初めて本格的なステレオでサイモンとガーファンクルのレコードを聴いたときのことだ。「スカボローフェア」の悲しく華麗なメロディー。切ない歌声とハープシコードの高音のハーモニーに、私は確かに銀色の光輝を見た気がした。
「音」には色彩があり、きらめきがある。そして、常に「時間」とともに音は流れる。「光」が一瞬の認識につながる感覚だとすれば、「音」は生きた感情と共存する感覚なのかもしれない。
美しい言葉に出会ったことがある。全盲ろうの状態になって失意のうちに学友の元に戻ったとき、一人の友人が私の手のひらに指先でかな文字を書いてくれた。
「しさくは きみの ために ある」。
私が直面した過酷な運命を目の当たりにして、私に残されたもの、そして新たな意味を帯びて立ち現れたもの、すなわち「言葉と思索」の世界を、彼はさりげなく示してくれたのだった。


 こうした私の特種な、ある意味で極限の体験をとおして、他者とのかかわりや生きる意味といった普遍的な問題を考えたい。
 「ユニバーサルデザイン」や「ユニバーサル社会」のありかたへの展望も、こうした思索の延長線上にあると考える。

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