幼児を3人抱えて外出する機会も多いのですが、なにせCO2排出を憂い(?)、クルマを持っていないものでして、いつも公共交通機関を利用させていだいております。
すでに上の2人がオムツ生活ではなくなっているため、もはや頻繁に通るルートの要所におけるトイレの場所の把握はもとより、初めて行くところのルートにおいてまで高感度センサーが働き、トイレの場所を察知するスキル(!?)が身に付いてしまいました。
特に駅のトイレについては、最近名称が変わった(最近でもない?)「誰でもトイレ」。そう、このネーミング!「どこでもドア」みたいでとっても親しみが持てますね。今までは、やはり障害を持った方のものというイメージが強く、さすがに避けてしまっていたのですが、名前が変わっただけで、とっても入りやすくなりました。なにより3〜4人子ども連れで入っても大丈夫そう!?清潔で広くて。
最寄りの駅もこのたび改装され、今やお出掛けルートの立ち寄り必須ポイントになってしまっております。あげくの果てに子どもたち自身が入り方や使い方を覚えてしまう始末。
でも、実はその手の親が急増したためか、本来必要とされている方々が逆に使えなくなってしまうような場面もあるとか。あぁ、確かに。私なんぞ、そんな親の典型だったのね…と猛省する今日このごろ。とは言え、子どもは行きたがるし、できるだけ妻と手分けして通常のトイレに行くか、さもなくば滞留時間を短くするか、などの工夫をしております。
それにしても「誰でもトイレ」。このまさしくユニヴァーサルなネーミングの妙が逆効果を生むこともあるのですね。ではいっそ「子ども連れもあいまにどうぞトイレ」とか「必要な方優先トイレ」にしてみるとか。あ、これらはユニヴァーサルじゃないか…。ではCCDカメラでも付けて外にいる方が見えるようにするとか?そんなこともあって、中にいるとき、外が気になって仕方ないのですよ……。
(文・子連れでUDを考える会、発起人)
※この文章は、2006年5月15日発行のゆうまぐ[第39号]に掲載されました。
<掲載日:2006年05月14日>