私は1970年代の九州芸術工科大学在学中から、身体障害者のための生活環境のデザインに関心がありましたので、仲間と一緒に研究室の車イスを持ち出して、フィールドサーベイと称し、繁華街の天神の交差点で横断歩道の段差を計測したり、近県まで車を駆って身体障害者の住む住宅を次々にリサーチしたりと、学生の気軽さで精力的に動き回っておりました。また、研究室で受託した北九州市身体障害者向け公営住宅サニタリールームの設計を委されたり、現熊本リハビリテーション病院の敷地内に積水ハウスとの共同研究で実験住宅「車イスの家」を作ったりと、得難いプロジェクトに参加できたのも幸運でした。
学生時代に読んだヴィクター・パパネック氏の『生きのびるためのデザイン』からも大きな影響を受けました。その後の私の生き方を決定づけた一冊と言っても過言ではありません。
「多くの職業のうちには、インダストリアルデザインよりも有害なものもあるにはあるが、その数は非常に少ない。たぶん、たった一つの職業がいっそういかがわしいものだといえよう。広告デザインがそれである。(中略)そして、宣伝・広告人の広めるあくどい白痴的な考えを商品へとでっち上げるインダストリアルデザインは、その次に並ぶものだろう。」という一節で始まる序文には、当時の若きデザイン学生は、一様に大きなショックを受けたものです。

氏は身体障害者や発展途上国の恵まれない人々のために、もっとデザインが貢献できることがあるはずと世界各国を巡って説き、多様な人々が垣根を越えて協同しプロジェクトにあたる Cross-Disciplinary Collaboration のデザイン手法を提唱するなど、その先見の明を発揮しました。氏とはその後、親交を温め、1989年の名古屋国際デザイン会議の際、氏を囲んでバリアフリーデザインをテーマにゲリラ・トークセッションを行い、予定を2時間も超過して白熱した議論を交わしたことを憶えています。
21世紀を迎えた現在、ユニヴァーサルデザインはサステナブルデザインと並び、紛れもなくデザインのメインストリームそのものですが、パパネック氏は30年前からそのビジョンを示しており、文字どおりUDの先駆者でした。惜しくも1999年に他界されたので、2002年の国際UD会議、そしてIAUDにお呼びできなかったのが心残りですが、氏の精神を引き継ぎ、なんとか世界の福祉向上に寄与すべく努めたいと模索する今日この頃です。
<掲載日:2004年07月15日>