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「小さな便利のつみかさね。」高橋 宏 理事(コクヨ)


広報担当理事の一人として、この「UDの眼」のコーナーでは、理事の方々の考え方をできるだけ平易にお伝えできることを願っています。さて、わたしの「わたしとUD」ですが……

戦後、私たち日本人はアメリカを手本に物的な豊かさを求めすぎました。確かに60〜70年代、アメリカは映画やテレビを通じて多くの夢を与えてくれました。大きな冷蔵庫には沢山の食べ物、大きなテレビの前にはゆったりしたソファ、広い庭には緑の芝生と大きな車。私が初めてアメリカに行ったのも60年代。1ドルが360円、電話などが日本のすべての家庭にはまだ無かったような時代ですから、アメリカでの生活、見るもの聞くもの、その豊かさには感動さえ覚え、憧れを抱いたものです。

私たちがそのような生活を夢に見、遮二無二追いつこうとしたのも無理ありません。あれから30年、私たちの周りにはモノが溢れ、量的には何不自由のない生活を得ることができるようになりました。しかし同時に、資源の枯渇、環境破壊といったさまざまな問題をも抱えてしまったのです。


その反省もあって、21世紀は量の時代から、質の時代に移行すると言われています。安くて丈夫で沢山あれば良いという使い捨ての価値観から、多少高価でも心豊かにしてくれるモノを、できるだけ長く使いたいという価値観に変化していくのです。

そんな“質の良いモノ”というのは“本当のモノ”にほかなりませんが、単なる見た目だけではない、安全で使いやすいという意味も含まれており、そこにUDへの大きな期待があるのではないでしょうか。

又々古い話をしますが、1964年、東京・大阪間に新幹線が開通しました。当時、ひかりのシートは人間工学でデザインされたものという触れ込みでした。確かに東京駅でシートに座った瞬間は、それなりに快いフィット感があったのを憶えています。しかし座と背の関係がほとんど固定だったために、静岡を過ぎる頃には、しばしば立ってビュッフェに行かざるを得ませんでした(ひかりにビュッフェや食堂車があった良き時代です)。

人間工学という平均計測値でのデザインの評価が、1時間余りの中で変化してしまったのです。シートは後々改良され、リクライニング機構などが取り入れられましたが、十分とは言えません。今後はさらにUDの視点から、たとえシートの生産が標準化・規格化を前提にしていようと、乗客個々の状況の変化にも、より柔軟に対応できるよう求められることでしょう。

ただし、UD視点でのモノ作りで大切にすべきは、すべてを大仰に考えるのではなく、本来の「あたりまえ」を保持することなのです。ゆえにコクヨでは“小さな便利のつみかさね。”をテーマに、すべての人にではなく、できるだけ多くの人に、まず人並な満足を 提供し、さらに“小さな便利”によって、個々の満足度をどこまで引き上げられるのかという、そんな「あたりまえ」に取り組んでいます。

昔から畑で使う鍬や鎌、大工道具の手斧にしても、使う人の手に馴染むように、柄が太すぎれば自分で削り、細すぎれば縄を巻いたりしたのです。道具を使いやすくするための、そんなちょっとした手助けをすることによって、小さな感動を与えられたらと考えているのがコクヨのUD活動です。

<掲載日:2004年06月30日>